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東京高等裁判所 昭和49年(ネ)1864号 判決 1984年11月22日

控訴人(附帯被控訴人)

財団法人眞和会

右代表者理事

大橋和孝

右訴訟代理人

中坊公平

谷澤忠彦

正木丈雄

井上啓

被控訴人(附帯控訴人)

榛葉登

右訴訟代理人

藤森克美

佐藤久

小林達美

杉本銀蔵

被控訴人(附帯控訴人)補助参加人

掛川市

右代表者市長

榛村純一

右訴訟代理人

熊本典道

主文

一  原判決中控訴人(附帯被控訴人)敗訴の部分を取消す。

二  被控訴人(附帯控訴人)の従前の請求を棄却する。

三  被控訴人(附帯控訴人)の本件附帯控訴(当審で拡張した請求を含めて)を棄却する。

四  訴訟費用(但し、当審における参加によつて生じた費用を除く。)は、第一、二審とも被控訴人(附帯控訴人)の負担とし、当審における参加によつて生じた費用は補助参加人の負担とする。

事実

第一  申立

一  控訴事件について

1  控訴人(附帯被控訴人、以下「控訴人」という。)

(一) 主文一、二項同旨

(二) 訴訟費用は第一、二審とも被控訴人(附帯控訴人、以下「被控訴人」という。)の負担とする。

2  被控訴人

本件控訴を棄却する。

二  附帯控訴事件について

1  被控訴人

(一) 原判決を次のとおり変更する。

(二) 控訴人は、被控訴人に対し五〇五六万〇五五九円及び内金四八五六万〇五五九円に対する昭和四三年七月一日から支払済に至るまで五分の割合による金員を支払え。

(三) 訴訟費用は第一、二審とも控訴人の負担とする。

(四) 仮執行の宣言

2  控訴人

主文三項同旨

第二  主張、証拠<以下、省略>

理由

一当事者

控訴人が大橋病院という名の下に医療を行うことを目的とする財団法人であることは、当事者間に争いがない。

<証拠>を総合すれば、被控訴人は、昭和四一年三月掛川東高等学校(定時制)を卒業したが、これより先右高等学校に通うかたわら昭和四〇年春ごろから名工建設株式会社(静岡支店)に軌道工として勤務し、主として国鉄新幹線の線路の補修工事に従事していたことが認められる。

二控訴人病院における被控訴人の診療経過

1  <証拠>を総合すれば、被控訴人は、昭和四二年一二月九日京都府下において同乗中の自動車が追突した際、左大腿骨骨折(非開放性)、左手挫創、顔面挫創の傷害を受け、同日控訴人病院に入院し、同年一二月二二日掛川病院に転院するまでの間控訴人病院において治療を受けたこと(被控訴人が昭和四二年一二月九日京都府下における交通事故により左大腿部骨折等の傷害を受け、同日控訴人病院に入院し、その後同年一二月二二日掛川病院に転院したことは、当事者間に争いがない。)が認められ<る。>

また、被控訴人が控訴人病院入院中の昭和四二年一二月一二日控訴人との間で右骨折部にキュンチャー釘を挿入する手術をする旨の合意をし、同日控訴人の雇用する医師石居志郎が被控訴人の左大腿部を切開し、大腿骨にキュンチャー釘を挿入する髄内固定手術を行つたことは、当事者間に争いがない。

2  <証拠>を総合すれば、被控訴人は、控訴人病院において右髄内固定手術を受けた昭和四二年一二月一二日から掛川病院に転院した同年一二月二二日までの間に発熱が三八度程度を持続していたが、同年一二月二一日からは解熱の傾向となり、白血球数は七三〇〇であつて増多はなかつたこと、被控訴人は、右の間に他に特段の症状がみられなかつたことが認められ<る。>

三掛川病院における被控訴人の診療経過

1  <証拠>を総合すれば次の事実が認められる。

(一)  被控訴人は、その強い希望により昭和四二年一二月二二日控訴人病院より掛川市立掛川病院に転院したが、掛川病院の医師金子孝は、被控訴人に対し次のような処置をした。

(1) 昭和四三年一月二九日から同年一月三〇日まで下肢のスピード牽引

(2) 昭和四三年二月一四日から同年三月七日までの間に上部マッサージ

(3) 昭和四三年二月一七日から同年四月四日までの間に変形徒手矯正術(リハビリテーションの一種)

(4) 昭和四三年二月二六日から同年四月三〇日までの間に温浴

(5) 昭和四三年三月三一日及び同年四月一日に外泊許可

(二)  金子医師は、その間被控訴人についてレントゲン検査をしたが、昭和四三年二月六日ころから被控訴人の左大腿骨に軽い骨髄炎を起こしているのではないかと疑われる異常を認め、その後も被控訴人の骨折部における仮骨形成が悪いと判断し、更に、同年四月二二日レントゲン透視をしたところ、骨折部でまだ骨が動くことを認め、大腿骨偽関節、仮関節の診断をしたうえ、骨折部の癒合を促進するため腸骨から骨片を採取し骨移植をしようと考え、被控訴人の左大腿部を切開することとした。

(三)  金子医師は、昭和四三年四月二五日被控訴人の左大腿部中央外側を控訴人病院における手術創に沿つて切開し、筋肉を分けて大腿骨骨折部を直視しうるようにして肉眼で見たところ、骨折部の中心の上下に黒味がかつた膿様の液を認め、かつ、右膿様の液の中にゴムの小片と思われる異物(検甲第一号証、最も長い個所で長さ約1.5センチメートル、幅約一センチメートルの楕円形のもの)を発見して摘出した。

(四)  そこで、金子医師は、右異物を取除き、右膿様の液を掻爬したが、更に骨折部を無菌的にするには、控訴人病院で挿入したキュンチャー釘を抜去せざるをえないものと判断し、これを抜去し、骨折部の上下(骨折端)を生理的食塩水で洗い、内部にカナマイシンを挿入し、術部を一次縫合して手術を終えた。

ところで、金子医師は、右キュンチャー釘の抜去に一時間以上を要したため、右手術に合計約二時間一八分を要し、そのため被控訴人から三七〇五CCという多量の出血を見たが、これは、控訴人病院において鈍端側にのみ穴のあけられたキュンチャー釘の挿入方法としてその尖端を骨折端中枢側に打込み、その鈍端を骨折端末梢側に打込む逆行性打釘法(当時から一般的に採用されている方法)を採用していたところ、金子医師がひつかけ式抜釘器(キュンチャー釘の先端の穴に抜釘器を引きかける器械)のみを用意し、噛み合わせ式抜釘器(キュンチャー釘の先端に穴がないときにその先端をペンチで引抜く器械)を用意していなかつたため、これを使用しなかつたことによるのである。

(五)  金子医師は、昭和四三年四月二五日右手術をした際、被控訴人の骨折部から膿様の液を採取したうえ、同年四月二六日掛川病院の検査技師に対し右膿様の液を提出して検査を依頼したところ、同年四月二八日検査結果が判明して報告された。右検査結果によれば、右検査材料には骨髄炎の原因としては頻度の高いブドウ球菌も発見された。なお、金子医師は、昭和四三年四月二八日被控訴人の診療録の同年四月二六日の欄に右検査結果を記入し、同年四月二八日にした抗生物質の投与の指示をも右二六日の欄に記入した(これは記入方法を誤つたものである。)。

(六)  右のような経過から、金子医師は、昭和四三年四月二八日ごろ被控訴人について骨髄炎の診断をした。

以上の事実が認められ<る。>

もつとも、<証拠>を総合すれば、掛川病院における被控訴人の診療録の昭和四三年四月二五日の手術に関する記録中には右異物(検甲第一号証)が発見摘出された旨の記載がないこと、また、右手術当時掛川病院側から控訴人病院側に対し右異物の発見摘出について何らの連絡もされなかつたことが認められるが、右認定のような事実があつたからといつて、直ちに右異物の発見、摘出に関する前記認定を左右するに足りない。

2  <証拠>を総合すれば、次の事実が認められる。

被控訴人は、昭和四二年一二月二二日から昭和四三年一一月五日までの間掛川病院に入院していたが、掛川病院に入院した当初から同病院において昭和四三年四月二五日施行された手術の数日後までの間の主な臨床症状は次のとおりであつた。

(一)  昭和四二年一二月二二日掛川病院に入院の際は顔面蒼白で貧血気味であつたが、元気よく食欲良好であり、看護計画として当分の間安静にして歩行練習をしたのち療法に入る予定とされた。

(二)  昭和四二年一二月二二日から昭和四三年一月三日までの間は高熱がなく、午後に微熱(三七度を若干超える程度のもの)が出るにすぎなかつた。

昭和四二年一二月二八日の所見では左大腿部局所熱感、発赤ともなかつた。

(三)  昭和四三年一月四日午後から同年一月一六日までの間に熱が上昇した(主として三七ないし三八度台、最高同月一三日夕三九度一分、その後次第に下向し、同月一七日以降おおむね平熱。)。

(四)  同年一月一一日患部痛が時々あつた。

(五)  同年一月一五日食欲が三分の一となり熱感があつたが、下肢の腫脹はなく、ギブスとの間に空間があつた。

(六)  同年一月一六日夜間盗汗があつて気分が不良であつた。

(七)  同年一月二九日左膝関節部腫脹軽度で熱感があつた。

(八)  同年一月三〇日左膝関節疼痛を訴えた。

(九)  同年一月三一日膝関節部腫脹軽度で下腿疼痛があつた。

(一〇)  同年二月四日から同年二月二二日までの間に熱が上昇した(三七ないし三八度台)日があつた。

(一一)  同年二月五日下肢痛があつた。

(一二)  同年二月一〇日強度の頭痛を訴えた。

(一三)  同年二月一一日軽度の頭痛を訴え、上下肢痛があつた。

(一四)  同年二月二〇日下肢痛、不眠があつた。

(一五)  同年二月二一日左下肢痛があつた。

(一六)  同年二月二二日悪寒、下肢痛があつた。

(一七)  同年三月一日不眠があつた。

(一八)  同年四月一日左患部痛、下肢痛があつた。

(一九)  同年四月四日全身熱感で気分がすぐれず、左膝関節部腫脹があった。

(二〇)  同年四月一八日左膝関節部腫脹、不眠があつた。

(二一)  同年四月一九日、同年四月二〇日不眠があつた。

(二二)  同年五月二〇日創部痛があつて夜間時々目を覚ました。

(二三)  同年五月一二日創部の発赤、腫脹があつた。

四被控訴人の骨髄炎罹患とその原因

1  <証拠、及び>原審における鑑定人太田伸一郎、同宇山理雄、当審における鑑定人池田亀夫、同津山直一の各鑑定の結果を総合すれば、次の事実が認められる。

(一)  一般に骨髄炎とは骨折部が化膿した場合をいうのであり、その発生原因としては、(イ) 血行感染、(ロ) 隣接化膿巣からの伝播、(ハ) 創による直接感染などが考えられる。

一般に手術中の感染の経路としては、(イ) 医師らの鼻腔、口腔からの飛沫感染、手術器械材料の消毒不足、(ロ) 手術室の空中の細菌の落下、(ハ) 患者の手術前の皮膚の消毒不足等が考えられる。

また、一般的に細菌が体内に侵入したのち化膿を生じる機縁としては、患者の組織抵抗力が滅弱している場合等が考えられる。

骨髄炎に罹患した場合には、感染後数日ないし二、三週間目に全身症状として発熱、悪寒、頭痛、食欲不振、赤血球沈降速度の亢進、白血球の増多等が起こり、局所症状として局所の疼痛、腫脹、発赤、熱感、次いで膿瘍形成、瘻孔形成、排膿を見るようになるのが定型的な臨床所見の経過であり、膿瘍、腐骨、死柩、骨脱灰萎縮等の進展がX線像の経過である。

(二) ところで、前記二2に認定した被控訴人の控訴人病院における右手術後の臨床症状は、大腿骨骨折に対する髄内釘固定手術後一〇日間に通常見られる所見にすぎないもので、局所症状として特段のものは存在せず、骨髄炎罹患の臨床症状は存在しなかつた。

(三) 被控訴人は、掛川病院に入院した昭和四二年一二月二二日には前記三2(一)に認定したとおり貧血気味であつたが、元気が良く食欲良好であり、骨髄炎罹患の全身症状及び局所症状は存在しなかつた。

(四) 被控訴人は、昭和四二年一二月二二日から昭和四三年四月二五日までの間掛川病院に入院したが、その間における臨床症状は、前記三2に認定したとおりであるところ、昭和四三年一月四日から同年一月一六日までの間に三七度を超える発熱があつたが、右発熱は、骨髄炎に罹患したときに見られる局所の持続的症状を伴わず、掛川病院の診療録の症状経過欄及び看護記録の記載にあるように風邪又は心内膜炎によるものと考えられる。

被控訴人の全身症状として、昭和四三年二月四日から同年二月二二日までの間に三七度を超える発熱のあつた日があつたが、右発熱は、右診療録の症状経過欄の記載からしても特別の所見はなく、同年二月一四日からマツサージを施し、同年二月一七日からはこれと併行して変形徒手矯正術を施していることから見れば、医学常識上骨髄炎の罹患によるものとは考えられない。

(五)  被控訴人の局所症状として、(イ) 昭和四三年一月一一日患部、(ロ) 同年一月三〇日左膝関節部、(ハ) 同年一月三一日下腿、(ニ) 同年二月五日下腿、(ホ) 同年二月一一日上下肢、(ヘ) 同年二月二〇日下肢、(ト) 同年二月二一日左下肢、(チ) 同年二月二二日下肢、(リ) 同年四月一日左患部及び下肢の各部位に自覚症状として疼痛があつた。しかし、右各疼痛は、一時的のものであた、骨髄炎に罹患したときに見られる持続的症状ではなく、これと異種のものである。しかも、右(ヘ)、(ト)、(チ)の各疼痛は、当時被控訴人がマッサージ及び変形徒手矯正術の理学療法を受け、昭和四三年二月八日に歩行訓練をし、二月一七日に起立して洗髪をしたことにより骨折局所に外力が作用したためであり、右(リ)の疼痛は、被控訴人が同年三月三〇日まで右理学療法、温浴を受け、同年三月三〇日及び三一日に外泊したことにより骨折部に動揺を来たしたためであると考えられる。

(六)  掛川病院において被控訴人について昭和四三年一月一〇日ころにした血液検査の結果によれば、手術による感染を疑わせる所見がなく、その他の検査(肝機能検査、尿検査)によつても骨髄炎を疑わせる所見がなかつた。

(七)  掛川病院において被控訴人について昭和四二年一二月二三日、昭和四三年一月一一日、同年一月一八日、同年二月五日、同年三月六日、同年三月二九日にそれぞれ撮影したレントゲン写真によれは、その当時被控訴人の骨の癒合や仮骨形成に遅れがあるX線像は認められるものの、骨髄炎に罹患していると判定しうるX線像は認められない。

(八) 前記三1に認定したとおり掛川病院において被控訴人について昭和四三年二月一四日から同年四月一日までの間に上部マッサージ、変形徒手矯正術、温浴を実施し外泊を許可したことは、医学常識上この間に被控訴人について臨床的に骨髄炎を疑わせる所見がなかつたことによるものと考える。

(九)  掛川病院における被控訴人に対する手術記録によれば、「左大腿遠位外側より到達し、骨膜下に剥離するに、膿様物流出を見る。これを可及的に掻爬郭清し、キュンチャー釘を抜去、カナマイシン一グラム流入し、手術終了。」と記載されているのみであり、死柩削開、腐骨切除術は行われなかつたものと解される。

以上の事実が認められるのであつて、これらの事実からすれば、被控訴人は、昭和四二年一二月九日から同年一二月二二日までの間の控訴人病院における治療、なかんずく昭和四二年一二月一二日に施行されたキュンチャー釘による髄内固定手術によつて骨髄炎に罹患したものではないと認めるのが相当であり、原審における鑑定人太田伸一郎の鑑定の結果中右認定に反する部分は、にわかに採用することができない。

2  前記認定事実、<証拠、及び>原審における鑑定人宇山理雄、当審における鑑定人池田亀夫、同津山直一の各鑑定の結果を総合すれば、次の事実が認められる。

(一)  掛川病院の金子医師は、昭和四三年四月二五日被控訴人の手術をする際、キュンチャー釘の抜去に一時間以上の時間をかけ、手術を開始してから終了するまでに約二時間一八分を要し、この間に三七〇五ccという多量の出血を見たのであり、しかも、右手術は、金子医師のほかには二名の看護婦が立会したにすぎないという悪条件の下で施行されたものであつて、術部に化膿を招来し易いものであつた。

(二)  金子医師は、右手術に際し、被控訴人の左大腿部中央外側を切開し、大腿骨骨折部に膿様の液を認めてこれを掻爬し、髄内釘を抜去し、骨折部を生理的食塩水で洗い、内部にカナマイシンを挿入したのち、術部を一次縫合した。しかし、被控訴人は、骨折部付近に限局性の軟部組織内膿瘍が形成されていたのであつて、このような場合には、定型的骨髄炎への進展を阻止し、感染、化膿を治癒するため早期に創を開放して排膿を図る必要があるから、一次縫合をすべきではなかつたものである。

(三)  キュンチャー釘の抜去は、骨の固定支持性を失わせ、骨折片間の転位を生じて排膿を妨げ、感染を拡大するおそれがあるから、控訴人病院において打ちこんだキュンチャー釘は十分に片骨が形成され、骨癒合が完全に起こり、骨折片間の転位が起こらないようになるまで抜去すべきではなかつた。したがつて、金子医師が右手術に際し、前述のようにキュンチャー釘を抜去し、術部を一次縫合したのは、処置を誤つたもので、症状を悪化させ、骨髄炎を招来する原因となりうるものであつた。

(四)  被控訴人は、前記三2に認定したとおり、右金子医師による手術後の昭和四三年五月二日創部痛があつて夜間目を覚ますことがあり、同年五月一二日創部に発赤、腫脹があつたところ、右手術後一七日目の同年五月一二日の局所症状は、急性化膿性骨髄炎の定型的所見が出現した。そのため、被控訴人に対し持続点滴灌流法が開始された。

(五)  罹患の時期はさておき、被控訴人は昭和四三年四月二五日より後に骨髄炎に罹患していることが明らかとなつた。

3 前記認定事実、前掲検甲第一号証、原審証人石居志郎、当審証人津山直一の各証言、原審における鑑定人宇山理雄、当審における鑑定人津山直一の各鑑定の結果、原審における控訴人代表者尋問の結果を総合すれば、金子医師は、昭和四三年四月二五日掛川病院において被控訴人の手術をした際、骨折部の中心にゴムの小片と思われる異物を発見したが、右異物は、手術用のゴム手袋の破片であるとすれば滅菌されていたものと考えられるから、それ自体が感染の原因とはなりえないものであり、また、これにより感染が生じたとしても、右掛川病院における手術当時における骨折部の状況からすれば、軟部組織に限定性膿瘍を形成していたにすぎず、キュンチャー釘を抜去することなく、創の開放、化膿病巣の掻爬郭清を行ない、その後要すれば有窓ギプスか副子による外固定を追加しつつ抗生剤の灌注を行ない、創が無菌化し感染が終熄治癒したことをみきわめたうえ骨癒合がなお不十分であれば骨移植を行うことにより後遺症の発生を止めえたものと認められ、控訴人病院における手術ないし前記ゴムの小片の存在と被控訴人の骨髄炎罹患との間に相当因果関係を認めることはできない。

4 以上認定した事実からすれば、被控訴人は、昭和四三年四月二五日より前に骨髄炎に罹患していたものではなく、同日以後に骨髄炎に罹患したものであり、右骨髄炎罹患の原因は、掛川病院における同年四月二五日の手術による感染にあるものと認めることが相当である。

5 そして、前記のとおり控訴人病院における昭和四二年一二月一二日の被控訴人の手術と被控訴人の骨髄炎罹患との間には相当因果関係が認められないのであるから、控訴人は、被控訴人の骨髄炎罹患及びその結果生じた後遺症について不法行為上の責任を負わないものといわなければならない。

五結論

よつて、その余の点について判断するまでもなく、被控訴人の控訴人に対する本訴請求は理由がないから失当として棄却すべく、右と異なる原判決は不当であつて、控訴人の本件控訴は理由があるから、原判決中控訴人敗訴の部分を取消し、被控訴人の従前の請求を棄却し、被控訴人の本件附帯控訴は、当審で拡張した請求を含めて理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法九六条、八九条、九四条後段を適用して、主文のとおり判決する。

(川添萬夫 新海順次 佐藤榮一)

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